NPO法人「環」の副代表 山口 光子が9月半ばに体調を崩し自宅で療養中でしたが、去る11月26日午後12時57分逝去致しました。
長い間のご親交ご支援を賜りました皆様に謹んでご報告させていただきます。
「環」設立準備会からNPO法人「環」設立後の現在に至るまでの4年間文字通り全精力を傾け取り組んでまいりました。
設立準備会発足直後に「悪性リンパ腫」が見つかりましたが、彼女の活動への意欲は衰えることなく、ガイアシンフォニー(龍村 仁監督)を自主上映することから始まり、この全作品(1番~6番)からのメッセージをガイアが語りかける魂の声として自分のこころ(魂)に刻みつけながら、「環」にその思いを重ねて大好きな八ヶ岳に拠点をオープンしました。
そして八ヶ岳は彼女に生きる希望と新たな生命を与えたように見えました。
東京での生活に疲れても此処にくると元気になれると、、、、。
山を見ては喜び、星空を見上げては感動し、庭の木の枝を切り、小鳥の巣箱を取り付け、自然の移り変わりを全身で楽しみながら、「お客様に喜んでいただけるお料理を」と長年勉強してきたことがこんな形で役立つとは、、、、と今まで以上に熱心に懐石料理の先生の所に通いその腕が振るえることを喜びました。
と言っても決して出過ぎず、料理長の補佐に徹しその絶妙な距離感はスタッフの信頼を更に高めるものでした。
「私たちの目標は単なるペンション業ではなく、ここから始まり丸2年、そろそろ次のステップに駒を進める段階にきたね」と中期目標、長期目標を具体的に計画。「環」の未来を熱く語り合ったことが忘れられません。
その頃病院の検査結果の数値は少し安定し体調はよくなっていると喜んでいました。最初から抗がん治療はしないと決めていました。免疫療法、自然療法の道を選択。初めのうちは1ヶ月の内1週間くらい山で過ごし、後は東京で出来る仕事を引き受け家庭と「環」の活動をバランスを取りながらの生活でした。
それが彼女の作戦だったのでしょうか?少しずつ自分が居なくてもご主人が家事が出来、食事が出来るように仕向けてきたようで、すっかり家事労働が身について思っていた以上によく頑張っているわと楽しそうに話していました。
話によればご主人は長年、絵に描いたような亭主関白でわがままなお坊ちゃまを通して来られたようですが、彼女が山に行くと自分の身体の調子が良いと言えば不便さを耐え、ずいぶん理解をしてくれるようになったのよと笑って話してくれました。こちらも長期計画の作戦成功の様子でした。
でも、彼女の体の中で密かにがん細胞は爆発の時期を狙っていたのでしょうか?
9月になって「今年の夏は特別に暑く、東京にいるとすご~くきつい。山に来るとほっとする」と疲れた様子だった。
今、思い起こせば9月21日右わき腹のしこりが硬い、妙にお腹が張ってちょっと苦しいと言いながら山から自宅に戻りました。
それからは日を追って光子さんの身体の中で激しくがん細胞が暴れ始め腹部は臨月のように膨らみ足も浮腫み苦しい辛い闘病が始まりました。
でも彼女は「自分の決めたことだから」と緩和ケアーの病院を紹介され自宅で最後の残された時間を家族と共に過ごす決断をしました。そこからはご主人とお嬢さんの暁子さん息子さんの幸宏さんの献身的な看護が始まり、苦しい病床にあって光子さんは「どんなときにも幸せがある」とメールで知らせてくれたように家族と密度の濃い幸せな時間を過ごすことが出来ました。
その間一度も病気を恨むことも自分の運命を嘆くこともなく、静かに現実を受け入れ、感謝の心で日々を過ごし、そんな中でもユーモアと遊び心を忘れず、ご主人と戯れていたようです。
故山口 光子さんとの4年間は私たちに多くのものを残してくれました。
一切の私心、物欲を持たずNPO法人「環」のために命を捧げてくれました。彼女を通して人として美しい生き方、在り様を見せていただきました。
いずれの日か彼女と交わした2ヶ月間のメールのやりとり、FAXの内容をご紹介できればと考えています。
彼女と共に「環」の立ち上げから今日まで密度の濃い時間を共有できたことを誇りに思います。
そして彼女の思いを受け継ぎ約束(長期目標)実現に今後も全身全霊で取り組んでまいります。
会員の皆様にはこれからもどうぞご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
尚、龍村 仁監督から本日私宛に「山口 光子様の御魂へ」と書簡をいただきました。お仕事の都合で北海道へ行っていて前夜式にも告別式にも出られなくて心残りだと。そして「御魂の今生の想いを生かし続けるのが残されたもの役目として精進いたします」とのことです。 合掌 湊 さち子